弾かないピアノ

 私にとってブログとは、部屋に置いてあるピアノのようなものだ。たまに、そこにあることを思い出して触るけど、そのうち鍵盤を開かなくなり、荷物置きと化し、ホコリを被っていく。 

 ブログを書いてみようと思ったことは何度かありますが、なかなか続けられないまま、気がついたら書かなくなってしまってどこの何のサービスを使っていたのかさえ思い出せないことも結構あります。ワードプレスとか使ってみた時期もあったような気がします。高校時代にブログがとても流行して、そのときはみんなはてなを使っていました。学生のみならず保護者まで閲覧し始めて炎上、閉設することもしばしばだったような。

 社会人になって忙しくなればブログを書く気にもなれなくなるだろうし、何より社会人になるのが怖くて、かといってだらだら長電話できるような友達もいないし、ならば学生らしく学問を究めるべき、聖書もクルアーンもホコリを被っています。はやく基本情報の勉強も終わらせなければならない。入社すればトイックとかいうテストも受けるのだから英語もブラッシュアップしなければいけません。しかしどうせ社会人になればこんなのんびりとした毎日も返ってこない。ならば今はこのどうしようもない状態を維持すべきでは?今更情報の勉強をしたところで情報系の院卒の同期には勝てないのです。

 もともと情報系に進学したかったものの母の反対を受けて何故か虚学の王を学んでいた身だったし、就職を機会にSEにでもなろうかしらと思って就職活動をしていました。基本情報の勉強なんかはそのときに参考書を読んだ程度で、プログラミングなにそれおいしいの状態といった非常に貧相な装備で、説明会の際には5%くらいしか文系がいない状態もあるあるで、さらに言えば女子は壊滅的で、いやあ本当、当時の自分は偉いなあ(無謀)と思いました。私大文系女子、プログラミング未経験。ひゃっはー。

 そこまで考えずに大手と大阪の中堅どころを20社くらい受けました。文系でも大丈夫なんてのは大嘘だということが後々判明するのですがここでは述べません。うすうす気づいていたけど。結局、受けた中で唯一、大手でも大阪の中堅どころでもない地元の会社に決まりました。決め手は家から近いことと給料が良かったこと、SEだけどそんなに忙しくない部署もあるらしいと聞いたりしたことからです。まあ一番大きかったのは最速で内定が出たってところですね。

 正直、もっと苦労すると思っていましたし、苦労しても仕方ないとも考えていました。詳細省きますが元彼が私大文系男子でSEを目指すものの完全敗退、たまたま営業職で受けていた外資系IT企業に内定&配属されて、Tokyo、数か月でボロ雑巾と成り果てるのを遠くのほうで見ていましたからね。おかげで自分は外資は避けれました。そもそも英語とか無理ですけど。受からなさそうな大手に絞って営業職で出して、大半はSEという名の無謀職種で提出。クール。

 なんというか、就活で苦労しなかったせいで、社会人になるという実感がない。もっと精神病んでボロボロの状態で内定もらって嬉し泣きっていうのを想像していたので。内定者懇親会で高学歴に囲まれてひょえーってなった思い出くらいしかない。いかん。

「社会人としての、自覚。」書いてて恥ずかしくなった。

 不安すぎて何も手につかないというのは非常によくない。お茶を濁すように実習の事前レポートを書いた。