私の結婚観に伴うざっくりした人生観。

 こんばんは、サークラ姉です。ツイッター見てる限りでは、今年の冬はインフルエンザより恋愛が大流行ですね。ひとりだと冬は寒いしね。流行と言えばここ数年婚活ブームですね。ちょうどよい機会なので私の結婚観の変遷なんて書いてみようかと思ったり。

 

結構やばい家庭で育ったので、大学3回生くらいまでは、バリバリ結婚願望があって。結婚相手に、私を今の家庭から救ってほしいという願望を抱いていました。つまり、経済的にも精神的にも私を支えてくれる包容力のある年上の男性と、ふたりで新たな家庭を作って、しあわせに暮らしたいなあ、なんて考えていたわけです。しかし現実の恋路はそうそう上手くゆくわけもなく。

 

そもそも男性だけに経済力を求めるのはリスキーなんじゃない?って思ってた。

好きな人に経済力がなかったら結婚できないってことだし、さらに言えば結婚相手にもしものことがあったときに支えてあげられないわけですから。それじゃあ対等な関係にはなれませんよね。

だからといって仕事に執着しすぎるのもリスキーなんですよね。特に女性の場合、男性と同じように働いてたらデートどころか異性と出会う時間もないまま婚期逃して、気づけば周りは結婚出産育児とコマを進めてて、顔本恐怖症になるという。そんなこと考えているうちに就職決まったんですが、内定先の平均年収とか離職率とか見てるうちに「結婚しなくても一人で生きていけるんじゃね?」という発想もあるにはあった。でもやっぱりひとりはさびしいしなあ。

 

とりあえず今のところ、

  • 仕事はやめてもいいし続けてもいい。辞める場合は常に復職できる状態を維持。
  • 子どもはいてもいなくてもいい。産むのであれば子育ては実家に頼る。

私の知る限りですが、「私の人生はこうでなければならない」という硬直した考えが不幸を呼んでいる気がする。特に「結婚相手は年収何百万以上でなければならない」とかいう類いの条件は自分ではどうしようもないし、逆に自分にボーダーを課すタイプの人(「女もバリバリ働くべき!」とかそういうやつ)も危ないなあと思う。そういう人は、今現在の充実を優先しすぎて将来が危うくなっているのではないだろうか。もちろん、大半の人は程度の差はあれど、結婚相手に求める条件はあるだろうし、理想に向かって努力するのは素晴らしいことだ。けれど、それが他の素晴らしい可能性を潰すことにつながるのではないかということをたまには考えながら、常に柔軟に様々なことを選択していくことで、更に充実した人生を送ってほしいと思う。