オタサーの姫へ向けられる「かわいい」について

よくわからないのだけど、人前で、自分が好きな人のことを好きとだというのが難しいというのはなんなのだろう。

 

多くの男性オタクには、思春期(小学生〜高校生)のとき、好きな異性の探り合いのような会話をしていた、あの名残が悪い意味で残っている気がする。

男性の場合、異性へ好意の中に、性的な興味というものが含まれているのがよくないのかな、と思う。

理性で割り切れないものへの気持ち悪さというものがあるのかもしれない。なんであんなに性的興奮って見てて気持ち悪いんだろう。本能に振り回される自分が嫌いだったり、受け入れられなかったりするのかもしれない。

オタサーの姫は、二次元じみてる(髪の毛ツインテールだったりするし、アニメキャラのような服装をしている)から、結果として肌の露出も少ないし、三次元的な生身的な、肉的な要素(性的なアピール、フェロモン的なもの)がだいぶ削ぎ落とされていて、異性慣れしていない男性からは見ていて安心感があるのかもしれない。オタサーの姫に向けられた「かわいい」は性的な要素抜きの「かわいい」として発することが可能だ。外見に関して言えば、姫の服って、だいたいリボンとかフリルが多めでかわいいし、髪型もかわいい。しぐさや口調も特徴があってかわいい(やりすぎててキモいことも多々有る)。こうしてかわいい理由を並べてみると、ある意味、犬や猫を「かわいい」っていうのに似てるかもしれない。

 

オタサーの姫へ向けられる「かわいい」は、性(本能)に振り回されない、理性の影が見えるタイプの「かわいい」なんですよね。弱いものを守ってあげたいってタイプのかわいい。こういうかわいいは、男性に優越感を抱かせる。「かわいい=守ってあげたくなる」の式が成立するから。「か弱い生き物(=姫)を守ってあげる俺カッコイイ」みたいな。

 

まあ、そういう女の子が実は性的に奔放だったってのがよくある異性間の事故原因な訳ですが。

異性間の事故が多発する季節になりましたね。皆さんもお気をつけて。

それではまた。